本尊 阿弥陀如来が須彌壇中央に安座し、左右に観世音菩薩、
大勢至菩薩が来迎形でおわします。
また、その左右奥には法華曼荼羅、当麻曼荼羅をお祀りしております。
檀信徒様の回向法要はここで厳修致します。
宮殿の中心に阿弥陀如来が鎮座し、その周囲に十三仏が立ち並び、亡くなられた方を阿弥陀浄土へと誘います。こちらはご葬儀やご法要に檀信徒様以外でもご利用頂けます。
ご葬儀についてはこちらから。
深川の泉養寺近くにあった「五本松」が芭蕉逍遙の地であったことから、寛保3年(1743年)、芭蕉五十回忌に俳人田中千梅が「芭蕉塚」造立したものです。各地にある「芭蕉塚」のうち、この芭蕉塚は房総最古のものです。
建立した田中千梅は、松尾芭蕉-千那-田中千梅-梅尺と続く、松尾芭蕉の孫弟子にあたります。芭蕉塚の碑面及概形 大正12年(1923年)、関東大震災で半ば崩壊してしまったため、上部が欠けて中央の「桃青居士」と「感應院」以外ははっきりしませんが以下のように碑面に書かれています。
祖翁逍遥之旧蹟 方鏡叟千梅造立
千先生旅舎之地 河野氏梅尺属之
小名木沢五本松
芭蕉翁桃青居士
千那律師感応院
「桃青居士」は「(芭蕉翁)桃青居士」、「感應院」は「(千那律師)感應院」を指しています。
右に「蹟」と見えるのは、「(祖翁逍遙之舊)蹟」、その隣の「之地」は「(千先生旅舎)之地」、下に「方鏡叟千梅造立」その右に「河野氏梅尺属之」と書かれています。
元禄時代の頃、戦いに出る者の護り本尊として三洲(愛知県)の仏師により作られた地蔵様は、代々除災招福、諸願成就の地蔵様として多くの人々の信仰を寄せてきました。
しかし、長い年月の間にこのお地蔵様は何人かの手に渡り、あるとき人間の手を離れて土中に埋まってしまったのです。
ところが昭和52年、泉養寺のある市川市国府台に住む方の依頼で墓石の仕事をしていた秋本一郎氏が、突然地蔵様の姿を感じ、90キロも離れた千葉県匝瑳郡光町の地中に埋もれている地蔵様を霊視し、地上に救い出しました。
早やかに開眼供養を行い、当院境内に供養塔が建立され、その内部に安置されました。
現在は塔から出でて、不動堂須弥壇の左脇に祀られております。
境内の祠には、観音菩薩像が安置されています。施楽観音 (せらくかんのん)は施薬観音 (せやくかんのん)」ともよばれる三十三観音の一つで、その像容は左手を膝に置き、右手を頬に当て、蓮花を見る姿で現されています。読んで字の如く、苦を除き楽を施す観音です。
衆生の抜苦与楽は観音の本誓ですので、お参りする方々に喜びを与えてくださいます。当山の観音様は、東三十三所観音霊場巡排の第十四番札所に数えられています。
京成線沿線の寺院を巡るもので、千葉県と東京都にまたがっていました。昭和初期に開設されたということで、現在においては詳しいことを知る人がいないため詳細は不明となっておりますが、今でも時折当山にもお参りにお越し頂いております。
境内には深川稲荷尊天もおまつりしています。